人工妊娠中絶と同意

令和2年10月20日付で、厚生労働省から『「母体保護法の施行について」の一部改正について(通知)』と題する通知が出されました。

人工妊娠中絶について「強制性交の加害者の同意を求める趣旨ではない」という点を明確化したものです。

ただ、「本号に該当しない者が、この規定により安易に人工妊娠中絶を行うことがないよう留意されたいこと。」と記載されている点には、やや懸念が残ります。

医療機関側には、患者からの説明以上の調査能力があるわけではありません。

医療機関側に「強制性交によるものではないということを調査するまでの義務はない」ということを明確化する必要があると感じています(そもそも、通常の人工妊娠中絶であっても、男性側の同意を不要とする立法論もありうるのではないでしょうか)。

いずれにしても、カルテに患者からの聴取事項や状況を記載しておくということが重要になると思います。

本ブログについての質問と回答・解説

Q. 「やや懸念が残ります。」とありますが、どのようなことを懸念していますか。

A. DVの被害に遭って妊娠したとの説明を受けた指定医師が、妊娠者本人の同意だけで人工妊娠中絶手術を行った後、その配偶者等からクレームを受けたり、民事訴訟を起こされたりすることが考えられます。

また、母体保護法上の人工妊娠中絶に当たらないとすると、理屈上は、業務上堕胎罪の成立が問題になります。配偶者等が警察に被害申告して捜査の対象になることがあるとそれだけで負担です。

Q. カルテに患者からの聴取事項や状況を記載しておくことだけで充分ですか。

A. かつて、日本産科婦人科学会雑誌に、被害届の提出の有無の確認をし、提出されているときは状況を把握している担当警察官への確認を行うことを勧めるとともに、被害届の出ていない場合には妊娠者本人の説明のみで状況判断することは危険であり、保護者や第三者となる者の充分な了解を必要とすることを指摘する記載がされたことがありました(日本産科婦人科学会雑誌59巻3号)。
これは2007年3月に出された文献です。

厚生労働省は、令和3年3月10日「母体保護法に係る疑義について(回答)」において、妊婦が夫のDV被害を受けているなど、婚姻関係が実質破綻しており、人工妊娠中絶について配偶者の同意を得ることが困難な場合は、妊娠者本人の同意だけで足りる場合に該当するとの見解を表明しました。

一方、日本産婦人科医会は「婚姻関係が実質破綻に関して、親等の親族、又は本人と配偶者の関係性を知る第三者にその確認を行うことが望ましい。」との見解を表明しています。こうした者から実情を聴取した内容や、婚姻関係が実質的に破綻していると判断した事情についてカルテに記載しておくことは重要です。

参考URL

配偶者の同意に関する日本医師会の疑義解釈照会文とその回答

本ブログについての用語解説

人工妊娠中絶

法律における位置づけは、堕胎罪、同意堕胎罪、業務上堕胎罪、不同意堕胎罪等といった各種堕胎罪の例外です。医師が妊娠者の嘱託や承諾に基づいて中絶手術を行ったときは業務上堕胎罪に当たるというのが原則で、ただし母体保護法所定の人工妊娠中絶がなされたときは例外という建前です。

本号(母体保護法14条1項2号を指しています。)

暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて(いわゆる強制性交や準強制性交によって)妊娠したものであるときは、妊娠した本人及びその配偶者の同意があれば、人工妊娠中絶を行うことができるという趣旨が定められています。

ブログ本文の「通知」は、この場合に強制性交や準強制性交を行った人の意思確認は不要であるということを明確に示しました。

本ブログに関連する質問と回答・解説

Q. 配偶者が強制性交等の加害者であるときは配偶者の同意は不要と考えてよいのですか。

A. 内閣府に設置されている男女共同参画推進本部の第21回会議(令和3年6月16日開催)において、「女性活躍・男女共同参画の重点方針2021(案)」のとおり決定されました。その「重点方針2021(案)」の中に、次の記載があります。

母体保護法の解釈の周知

母体保護法第14条第1項第2号において、暴行若しくは脅迫によって妊娠したものについては、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができることとされているが、強制性交の加害者の同意を求める趣旨ではないこと、また、妊婦が配偶者暴力被害を受けているなど、婚姻関係が実質破綻しており、人工妊娠中絶について配偶者の同意を得ることが困難な場合は、本人の同意だけで足りる場合に該当することについて、関係機関に周知する。【内閣府、厚生労働省】

参考URL

すべての女性が輝く社会づくり本部(第11回)・男女共同参画推進本部(第 21 回)合同会議議事録

女性活躍・男女共同参画の重点方針2021(案)

以上

文責:弁護士 川﨑翔